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T-4とは何? Weblio辞書
T-4とは?
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Weblio 辞書 > 工学 > 航空自衛隊装備品 > T-4の意味・解説
分類 中等練習機
【T-4】(てぃーよん)
Sukhoi T-4(Сухой Т-4)
ソ連(現ロシア)のスホーイが開発していた超音速爆撃機。
NATOコードは無いが、アメリカ国防総省は当機に「ラームH」のコードネームを与えていた。
アメリカのXB-70と比べ、大型のクロースカップルドデルタであることは共通しているが、機体にはSR-71と同じくチタン合金を使用し、主翼はダブルデルタになっており、翼端を折り曲げるような機構はない。
また、ソ連初の4重・全自動方式のフライバイワイヤーが採用されたほか、燃料にはRG-1と呼ばれる特別な燃料を使用する。(SR-71で使用されるJP-1燃料に相当。)
しかし、他の大型超音速機と同様に航続距離が極端に劣り、実用化されることはなかった。
後年、主翼を可変後退翼に改めたT-4Mや、さらに胴体をリフティングボディに改めたT-4MSも構想されたが、空力特性や生産能力等に問題があり、結局Tu-22MやTu-160が開発されることとなった。
全長 44.0m
主翼面積 295.7m²
空虚重量 55,600kg
運用重量 114,000kg
最大離陸重量 135,000kg
エンジン コゾレフ RD-36-41ターボファン(推力16,000kg)×4基
(最高/巡航) Mach3.0/Mach 2.8
航続距離 7,000km(フェリー時)
実用上昇限度 20,000-24,000m
参考リンク:http://www.sukhoi.org/eng/planes/museum/t4/
川崎重工など国内航空産業メーカー5社が製作した純国産の中等練習機/連絡機。
それまで航空自衛隊で使われてきた「富士T-1"初鷹"」と「ロッキード/川崎T-33"若鷹"」の代替機として、1989年から配備が開始された。
機体の性能は優秀だが、練習機に特化していて武装パックを装着できず、T-1やT-33、T-2のように、有事の際に作戦機として転用することは不可能となっている。
その愛らしいフォルムから「ドルフィン」と呼ばれ、特に芦屋基地(福岡県)の第13教育飛行隊が装備する機体は、学生用の赤塗装に加え、カラーリングのパターンがブルーインパルスに酷似していることから「レッドインパルス」または「レッドドルフィン」とも呼ばれる。
関連:ブルーインパルス
主翼面積 21.06㎡
空虚重量 3,700kg
最大離陸重量 5,640kg
エンジン IHI F3-IHI-30またはF3-IHI-30Bターボファン(推力32.7kN)×2基
(最高/巡航) マッハ0.9/マッハ0.75
海面上昇率 3,121m/min
航続距離 700nm(最大)
実用上昇限度 15,240m
XT-4:
試作機。飛行試験機4機+地上強度試験機2機が生産された。
後に飛行試験機は量産化改修を経てT-4に編入された。
T-4:
T-4戦技研究仕様機:
ブルーインパルス用の特別仕様機。
その他の名称: チロキシン、L-チロキシン、レボチロキシン、Thyroxine、L-Thyroxine、Levothyroxine、O-(4-Hydroxy-3,5-diiodophenyl)-3,5-diiodo-L-tyrosine、T4【ホルモン】、テトラヨードチロニン、Thyroxin、(-)-Thyroxine、Thyreoideum、THX、(-)-チロキシン、Tetraiodothyronine、T4【hormone】、L-T4、(-)-L-チロキシン、(-)-L-Thyroxine、Thyroxinal、T-4【hormone】、L-T-4、T-4、チロキシナール、T-4【ホルモン】、(-)-O-(4-Hydroxy-3,5-diiodophenyl)-3,5-diiodo-L-tyrosine、3-[4-(4-Hydroxy-3,5-diiodophenoxy)-3,5-diiodophenyl]-L-alanine、3,3',5,5'-テトラヨードチロニン、3,3',5,5'-Tetraiodothyronine、T4、サイロキシン、O-(3,5-Diiodo-4-hydroxyphenyl)-3,5-diiodo-L-tyrosine、(S)-α-Amino-4-[(4-hydroxy-3,5-diiodophenyl)oxy]-3,5-diiodobenzenepropanoic acid、3,5,3',5'-テトラヨード-L-チロニン、3,5,3',5'-Tetraiodo-L-thyronine
体系名: (S)-3-[4-[(4-ヒドロキシ-3,5-ジヨードフェニル)オキシ]-3,5-ジヨードフェニル]-2-アミノプロパン酸、(S)-2-アミノ-3-[3,5-ジヨード-4-(3,5-ジヨード-4-ヒドロキシフェノキシ)フェニル]プロピオン酸、(-)-O-(4-ヒドロキシ-3,5-ジヨードフェニル)-3,5-ジヨード-L-チロシン、3-[4-(4-ヒドロキシ-3,5-ジヨードフェノキシ)-3,5-ジヨードフェニル]-L-アラニン、O-(4-ヒドロキシ-3,5-ジヨードフェニル)-3,5-ジヨード-L-チロシン、O-(3,5-ジヨード-4-ヒドロキシフェニル)-3,5-ジヨード-L-チロシン、(S)-α-アミノ-4-[(4-ヒドロキシ-3,5-ジヨードフェニル)オキシ]-3,5-ジヨードベンゼンプロパン酸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/05/30 01:17 UTC 版)
大正4年(西暦1915年)。
T4ファージ - バクテリオファージの種類。
T4細胞 - T細胞の種類。
T4作戦 - ナチス・ドイツの安楽死政策。
サイロキシン - ホルモン前駆体。
ターミネーター4 - 2009年公開のアメリカ映画。
T4 (宝塚歌劇) - 新宿コマ劇場で上演されたミュージカル『恋よりも命よりも』に出演した、元宝塚歌劇団トップスター、紫吹淳、湖月わたる、彩輝なお、貴城けいの4人により結成された特別ユニット。
兵器の型式
T4無反動砲 - アメリカの無反動砲。
T4 ADM (Atomic Demolition Munition) - アメリカの戦術核爆弾。
川崎T-4 - 日本の練習機。
スホーイT-4 - ソ連の未配備戦略爆撃機。
(T-4 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/26 22:00 UTC 版)
プロペラ機からジェット機への機体変更がスムーズに行えるように、素直な操作性と高い安定性を誇る。亜音速での飛行特性を重視し、高速訓練が可能なように遷音速翼を採用、機体形状も工夫を凝らし、各部が丸みを持った形状にまとめられている。低速から高速まで安定した飛行特性を持つよう設計された。機体重量の4.5パーセントは炭素系複合材などの新技術を採用しており、軽量化に貢献している。射出座席はAV-8B ハリアーIIなどと同様のキャノピー破砕方式を採用[1]、機上酸素発生装置(OBOGS)[2]を備え、非常時の信頼性も高い。
操縦性の高さから、それまでT-2高等練習機で行っていた高等訓練の一部をT-4で実施できるようになった。T-2は「超音速戦闘機のための練習機もまた超音速機である必要がある」という当時の認識に基づき開発された機体であり、後年、その認識は必ずしも正しくないとされている。そのため高等練習に関しては、T-4と戦闘機の複座型で行う事となり、T-2のような超音速練習機は必要が無くなった。
事業用操縦士に必要な計器飛行の訓練もT-4で行われるが、飛行計器のみを見なければならない訓練中に外部を見てしまうのを防ぐため、訓練生が座る後部座席には視界を遮るカーテンとレールを取り付けることが可能である[3]。
同世代の海外の練習機では、練習機といえども有事の際には武装も施せるように出来ており、実際にT-4も試作機XT-4時代に武装ポッドによる軽攻撃試験が行われた。しかし試験の結果、12.7mm重機関銃程度では改修の手間に対して現代の軍用機が相手では大した打撃力にならないことや防衛環境の違いもあり、量産機は練習用に特化されることとなった。ただしトラベルポッド、標的曳航装置、集塵ポッドなどの運用は可能である。
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新人☆ケンジのレインボープラン体験記�
〜新人☆ケンジのレインボープラン体験記�〜
[ 虹の郷発 希望行き 第190号・市報ながい 2月1日号 ]
学校給食共同調理場を視察しました
長井市内の小・中学校で子どもたちが毎日食べている給食は、「長井市学校給食共同調理場」で調理されています。週2回出る米飯はレインボープラン認証米で、おかずにもできるだけレインボー野菜などの地場食材が使われています。
今回、野菜がどのように調理されているかを知り、今後の生産や納入に生かそうと、レインボー農産物の生産者や地場農産物の納入担当者らが同調理場を視察しました。
献立は「チキンクリームライス」。学校栄養教諭が作成したレシピをもとに、�ニッコクトラストの20名ほどのスタッフが約2400食を調理します。使用するレインボー野菜は白菜。生産者が学校給食のためにと丁寧に保存していたものです。
手際よく芯をくりぬいた白菜は、3回もの洗浄を経て手作業でカット。根元のシャキシャキ感や葉先のやわらかさを生かすよう切り方も工夫しています。チーフが「今日の白菜はやわらかいから、煮すぎないで」とスタッフに指示します。きびきびと流れるようなチームプレーに、「一番おいしい状態で食べてもらいたい」というスタッフ全員の心意気が見えるようでした。
食材は国産を基本に添加物の少ないものを使うなど、味覚形成の大切な時期にある子どもたちに本物の味と素材を体験させたい、という思いが感じられます。また子どもたちが口にするものだけに気になる安全性についても、きめ細かな衛生管理が徹底されていることがわかりました。
「市や町が食を大切にしているかどうかは、学校給食に現れます」と、栄養教諭の山口薫さん。多くの人たちの力で安全なおいしい給食が提供されている長井市ですが、地場農産物の利用を増やすには課題も多く、生産者、納入者、行政など関係者の連携の促進、そして一層の市民の理解が求められています。
▲ 心を込めて調理されている学校給食
2018.02.06:rainbow:コメント(0):[メモ/トピックス]
[ 虹の郷発 希望行き 第189号・市報ながい 1月1日号 ]
こんにちは、埼玉県から来た新人市民ケンジです。
去る12月16日、西根地区公民館で開催された小学生向け講座「土曜らんど★レインボーカレー作り&ズーズーかるた体験」をレポートします。
まず始めに、紙芝居「なまゴンの冒険」を上演し、レインボープランがどんな取り組みなのか学んでもらいました。
そしていよいよカレー作り。レインボーカレーは、「レインボー米粉カレールー」を使った長井市学校給食共同調理場のオリジナルメニューです。今回は、レインボー野菜をたっぷり使って作りました。子どもたちはみんなスタッフの注意をしっかり聞いて、イキイキと調理していました。
カレーを煮込んでいる間、長井弁を楽しく学べる「ズーズーかるた」やボードゲームを体験しました。「ズーズーかるた」体験では子どもたちは、大人も知らないような長井の方言を面白がって聞いては真似して口にしていました。
さて、カレーが煮えたら、お待ちかね「いただきます」の時間です。自分たちで作ったレインボーカレーはまた格別の味だったのでしょう。子どもたちは2杯3杯とおかわりして、お腹いっぱい食べていました。
生ごみ→堆肥・土→野菜→生ごみ・・・というレインボープランの循環。今回の土曜らんどの体験は、「野菜〜生ごみ」の部分でしたが、子どもたちはその前後も想像してみたでしょうか。大人の皆さんも、野菜を調理するときにぜひ思いを巡らせてみてください。そして子どもたちに伝えてください。私たちの体は日々の食事で作られていること、野菜が土から作られること。その土の健康を守るということは命をまもることだ、と。子どもたちが心豊かに生きていくために、きっと必要なことだと思います。
▲ 皮むきも包丁使いも上手にできたよ♪
[ 虹の郷発 希望行き 第188号・市報ながい 12月1日号 ]
去る11月18日、道の駅川のみなと長井で、『レインボープラン20周年記念 ささやかな収穫感謝祭2017』が開催されました。
会場には、市内のお子さんたちが色を塗ってくれた色とりどりのレインボー王子のぬり絵作品100点余りが展示され、とてもにぎやかでした。ボランティアスタッフが振る舞うつきたてのもちやレインボー汁は、もち米も具材もレインボーづくしで、集まった家族連れなどの皆さんがおいしそうにほおばっていました。レインボー野菜とレインボーみそで仕立てた「レインボー汁」を私も頂きましたが、冷えた体にしみわたり幸せな気分になりました。
私はレインボープランのことを勉強し始めてまだ一年ばかりで、これまでの20年間にどんな「想い」や「歴史」が詰まっているのかよく分かりません。でもきっと、レインボープランに近く寄り添ってきた人たちはもちろん、会場に集まった皆さん、また来場できなかった多くの人たちも、レインボープランと歩んできた道を思い返していたのではないでしょうか。夜遅くまで机を囲んで話し合った日々があったり、それまで生産者と交流のなかった人が生産者と話す機会を持つようになったり、食べる人の顔を思い浮かべて作物を作るようになったり、食べ物や農業や環境のことを前より考えるようになったり、それぞれの人にそれぞれのレインボープランがあったのだろうな、と思います。レインボープランが始まったころには子どもだった大人たちや、生まれたときからレインボープランがある今の子どもたちにも、レインボープランとの歴史が作られていくのだろうと思います。
この先のレインボープランの歩みを、私も一市民として協力しながら見守っていきたいです。
▲レインボー王子も登場して、くじ引きのお手伝い